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三菱未来館の記録

昭和41年8月
三菱万国博総合委員会設立
12月
田中プロデューサーに打診
グルーフ゜にアイデア募集決定
昭和42年2月
技術協力委員会設立
アイデア3000通集まる。
3月
田中プロデューサーより
35のアイデアから童謡ファンタジアと
自然と生物の進化と宇宙ランドに絞る
4月
出展申し込み 
敷地変更の申し入れ
5月
シンボルタワーの施設参加に踏み切る
6月
施設参加が日経にすっぱ抜かれる
7月
タワー中止になり出展に絞る
9月
テーマ 日本の自然と日本人の夢 原案固まる
12月
敷地決定
昭和43年1月
三菱特設館の構想発表
2月
編曲作曲は団伊玖磨氏 
映画特撮に円谷英二氏に依頼
5月
設計概要発表
6月
出展計画締結
7月
起工式挙行
8月
身障者対策検討
ホリミラー総合会議
10月
三菱館建設工事着工
11月
三菱館杭打ち終了
特設館運営委員結成
12月
スローガン
あなたと見よう三菱館 決まる
昭和44年2月
予算25億決定
ホステス募集開始
3月
ホリミラースクリーン用火山の場面
鶴見朝日製鉄にて円谷監督特撮撮影
4月
銀座松屋新館落成記念
くらしの未来学に海の展示参加
5月
三菱電機中津川工場にて
スモークスクリーン公開
ホステスユニホーム決定
デザイナー静間潮太郎氏
音楽が 伊福部昭氏に変更
7月
上棟式挙行
館名を未来館に変更
10月
学生ゲバ対策
なまじのことをやることはやらないのも同じ
との結論
キラウエア火山の東宝撮影隊
坂野義光監督より成功入電有り
12月
万国博記者クラブでホリーミラーテスト公開
昭和45年1月
ホステス訓練始まる。
・25日 円谷監督が療養先の伊東で逝去
2月
一時と三時の二回24日にプレスプレビュー
落成披露式挙行28日
昭和45年3月
・12日夜10時半頃 館内連続運転テスト中
過熱でプロジエクター一台焼失
ただちに消し止めたため消防隊 新聞記者が
駆けつけた時は既に鎮火していた。
開幕
万博一番乗りの青年 未来館へダッシュ
・31日には三波 春夫氏来館
4月
開館22日目の4月5日に観客100万人突破
小田浩子さん 小学校三年生に認定書と記念品
5月
10日ウォルトディズニー副社長ハウオーカー氏
一行20名が来館
ショーとして最も成功していると聞いた
ポケットに入れて帰りたい。
ミニチュアに興味を示し全体を通じ
一つのストーリーとして一貫性かある上
二十分間で全部見せるとは素晴らしいアイデアだ。
トラ゛ーターの速度は 費用はと質問攻め
ウオーカー氏の奥さんはシルエトロンがお気に召し
デイズニーランドの制作技術者リチャード・f・アーヴィン
氏は球体スクリーンが映写システムをみたがったが
時間がなく断念
ウオーカー氏は全体構想に関心し
万博ナンバーワンだと激賞しこのアイデアなら
アメリカでも充分人気が出るだろう。誰のアイデアか
と聞きたがった。あいにく田中プロデューサー不在
にて英文解説書と坂野氏の三菱未来館成功の謎
の英文原稿を渡す。
既に入場待ちは二時間を越える。
6月
・16日集中豪雨で雨漏り
・18日500万人目の入場者佐藤愛子さん
一日館長 仲代達矢氏が御もてなし
7月
・3日多くの観客対策の為の専用階段完成
・10日 国賊三菱のビラがまかれる
・15日700万人突破
・24日最終締め切りを70分前にする。
8月
・1日老人優先入場はアメリカ ソ連 三菱の
一つに限定される。
・12日雷雨の為一時電源を切る。
・15日VIPの自粛厳選依頼
・20日台風10号接近
少年マガジンタイアップの未来画展示
・22日VIPが一日あたり五千人を越え入場に
一時間待ち。記念品贈呈やむなく中止
一般客は3時間待ちが当たり前に・・・
・25日1000万人目の入場者 稲垣真智子さん
・28日8列の行列が未来館の下をモノレールに沿って
虹の塔の南を通り地方自治体館を廻る長蛇の列とな
り手の施しようがなくなる。待ち時間は五時間。
9月
・5日未来館入場82725人 入場制限
・6日ホステスとアルバイトから退職金の要求
無事妥結
VIP新規カード発行停止
機動隊へ整理応援要請
入館者1100万人越える
・10日夜 閉館の際
行列外の一般観客が正面入り口よりなだれ込み
一時混乱状態に。
警備会社だけでは 手におえないと
重工 電気 ガラス 電線 塗料の各社へ
警備員の応援依頼
・11日東宝と阪急電鉄の好意により三菱未来館
として宝塚ファミリーランドに移設経営が検討されたが
諸般の事情により断念した。
シルエトロンは遠州鉄道に買い取られ浜名湖の館山寺に
再現
注 公式記録では ファミリーランドへ恐竜館として
移設とある。
・13日 19:28
11556268人目の入場者 西野育子さん
生後五ヶ月がお母さんに抱かれて最後のお客様として
ホステスのふる赤い懐中電灯の中を退場。
閉館後 全職員が正面ホールに集合
蛍の光の音楽の中を寺尾代表を先頭に未来館の
導線上を行進し別れを惜しんだ。
・14日11時宝塚ホテルでさよならパーティ
15時解散だったか゛16時を過ぎても帰る者はいなかった。

昭和46年2月三菱未来館は基礎解体 
3月2日 敷地を返還。
歴史を閉じる
。 

















100万人目の
入場者
球体スクリーンの
実験風景
三菱電機
中津川に
おいて
スモークスクリーン
の実験
スモーク
スクリーン
コントロール装置
松屋特別展示
大阪三菱信託で
行われた
ホステスの面接
上棟式
五十分の一
検討模型
建設中の未来館
出展契約締結
大阪での構想発表
開館式
万博一番乗りは
未来館へ
まっしぐら
開館直後早くも
大勢の方が訪れた。
ペルー地震
へのカンパ
新導線完成
500万人目の来場者と
仲代達矢一日館長
左端は田中友幸氏




















































































....








































































岩室治朗氏の
未来画
閉館式
読売新聞
未来を抱いて
さようなら
解体昭和45年10月
解体11月末
vipルームへ
補足資料へ

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